ADHD元小学校教師のフリーランス生活

自分の思考を記録する場所として自由に書き溜めています。ツイッター並の速度で今日も元気に更新中。

子供の成長は地下水に例えられる

たまには教員時代を思い出しながら真面目な話を。

子どもの成長は日々感じられるものではなく、ある日突然訪れるものだという内容。

長女が4歩あるいた姿を見てなんとなくこの話をしたくなった。

 

子どもが成長していない?そんなことはないよ

「せっかく教えても子どもが言った通りにできない」

「何度教えてもまるで成長していない」

 

学校教育にしろ家庭教育にしろ、一人の大人として子どもの教育に向き合ったことのある方であれば、一度は上のようなことが頭の中によぎったんじゃないかと思う。

実際気のおけない仲間同士で実際に声に出して悩みを相談しあった人もいるだろう。

 

我々はあの手この手で子供達に新しい知識や習慣を教える。

「教える」とは、最近のブログの世界で言うところの「インプット」。

つまり、子どもたちの柔らかい脳みその中に情報を入れているというわけだ。

 

そして我々大人は期待する。
子どもがインプットした通りに行動してくれることを。

つまるところ、アウトプットを期待する。

 

しかし子どもは行動しない。
大人が期待するアウトプットは多くの場合すぐには返ってこない。

 

子どもがアウトプットを返してくれないから、教えた大人は不安になる。
「うちの子はちょっと鈍いのかなぁ?」
「俺の教え方、悪いのかなぁ?」

なんて感じに。

 

でもね、それは違う。
我々大人が苦労してあれこれ教えていることは全然無駄じゃないし、教わる子ども達だってちゃんと成長している。

大人達が苦労して施している日々のインプットはしっかりと子供達の糧になっている。

 

地下水は何かのきっかけで一気に吹き出す

インプットの成果は地下水に例えられる。

学校の授業も家庭でのしつけも、それは地下に水を溜める行いだというイメージ。

インプットした時点では結果が目に見えないが、授けた知識も与えた経験もしっかりと子どもの心の中に積み重なっているという意味だ。

 

さて、溜まった地下水はある日何かのきっかけで一気に吹き出す。

学んだことをいよいよ行動に移し始める。

 

そのタイミングは千差万別だ。

学校教育であれば、クラス替えや席替え、夏休み明けなどのタイミングで突然子どもが成長することがある。

家庭教育であれば、赤ちゃんを歩かせようとあの手この手で教えていたら、ある日思い出したかのように突然赤ちゃんが歩き出すなんてことがある。

 

そのタイミングがいつ訪れるのかはわからない。

でも日々の教育によって地下水は溜まっていく。

少しずつ、確実に溜まっていく。

 

教育とは地下水を溜める地道な作業。それを湧き水にするのは子供の意志

結局のところ、大人が子どもにしてあげられることは、地下水を溜める作業だけだ。

溜まった地下水をいつ湧き水に変えるのかは子どもの意志に任せる他ない。

 

たとえ成果が見えなくとも、子どもの心の中に地下水が溜まっていっていると信じて日々の教育を進めていく。

それこそが子育てであり、学校教育の本質の一つでもあると自分は思う。

 

まとめ

教員時代、保護者との面談の中で何度かこの話を扱った。

わりと記憶に残りやすい内容のようで、PTAの集まりや懇親会なんかでは決まって話のネタの一つにされていた。

 

そんな自分も今は教員を逃げるように辞め、1歳児を相手に子育てに励んでいる。

我が子の成長は見えるような見えないような何とも言えない感触だが、地下水は溜まっていると信じて日々我が子の頭を撫でていきたいと思う。